本当は表参道にある古着屋でバイヤーの仕事をやりたかったんだ。
是非来てくださいって言われていたんだ。
でも洋服屋になるって言ったら親はどう思うだろうかって考えて道内の会社に就職したんだ。
姉は看護師になり初任給で父にスーツを仕立ててあげていた。
私が洋服屋さんのバイヤーを東京でやったとしても給料は姉より低いだろうし、同じ東京に住むという事は比べられやすくなる。
不利だと思った。
だから自分から諦めたんだ。
あの時諦めた事を今でも後悔している。
本当にやりたい事をやればよかった。
私はいつも親に気に入られようと勉強ばかりしていた。
ピアノだって姉より上手だったし成績だって良かった。
でもいつも適当にされてると感じていた。
勉強しても大して褒められるわけでも注目されるわけでもなかった。
母は3歳違いの姉の入学式や卒業式が被るといつも姉の方に行った。
私に相談もなく、謝る事もなく、勝手に姉のところに行くと決めていた。
私の入学式や卒業式はいつも大嫌いな父が来ていた。
本当は嫌いだったが、そこで嫌いな素振りを見せると母に来てもらえなかった可愛そうな妹になってしまうので、父が別に嫌いではないフリをした。
姉の事は嫌いではない。
でも好きでもないのかもしれない。
小さな頃、デブと言われていじめられているのを見た時、一度も助けてくれなかった姉。
自分の妹ではないフリをした姉。
自分の身を守るためにそうしたんだよね。
3歳しか違わないから仕方なかったんだよね。
でもやはり傷ついた事は確かだ。
同じ親に育てられたが、姉は両親を嫌いではないようだ。
自分も毒親になっているのでむしろ好きなのかもしれない。
姉の子育てはほとんどパワハラだった。
金に物を言わせた脅迫だった。
私の予想ではいつか崩壊する。
子供には自分と同じ失敗をしてほしくない。
ママやパパに遠慮する事なく、好きな事をしてほしい。
ゲームに熱中する娘、ユーチューブに熱中する娘、気が向いたらダンスを踊り披露する娘、ママママと甘えてくる娘、全部可愛いと感じる。
私が子供の頃、家でこんなにリラックスしていた事があっただろうか。
娘が家でリラックスしてくれている姿は愛おしい。
これも厳しくも愛情たっぷりに田舎でのびのびと育った夫のおかげだろう。
夫と一緒でなければ今のようなゆったりとした子育てはできなかった。
うつ病を克服した夫と脱アダルトチルドレンの妻が、無理せず色々な逃げ道を用意しながら見守る子育てというのも、それはそれで良いのではないだろうか。
あの時夢を諦めて北海道に残ったから夫と出会い、可愛い娘に恵まれて今幸せと胸を張って言える。
大切な家族の傍で好きなファッション関係の仕事ができるようにもなった。
後悔も長い人生の中では必要な要素なのかもしれない。
自分たちの子育てが正しいなんて思った事は一度もなく、どっちかというとダメなんじゃないかと思う事の方が多いけど、とにかく無理なく楽しみ、頑張り時を見つけた時だけちょっと本気を出してみる。
そんなスタンスが好きな私でした(*´▽`*)